岡田信一郎アーカイブ

建築家岡田信一郎について

分離派建築会の展覧会を観て

(建築雑誌406号、1920.9)
分離派建築会の展覧会を観て
  正員 岡田信一郎

私は初め「分離派建築会の展覧会と其宣言を観て」と云ふやうな見出しで執筆するつもりで居た、併し其宣言や主張に対する批評を企てる事になると、建築の本来の意義とか現代の解釈とか云ふやうな事まで論じなければならない、而して建築の意義とか現代とか云ふ言葉は明瞭に分つて居るやうで実は甚だ曖昧に使用されて居るので此処まで突込んで評論する事は、ふだん不用意の私には急場には間に合はない。
其れ故に茲(ここ)では表題のやうに単に展覧会観覧の所感を述べる事とする、一体其の主張を検竅する事なしに其作品だけを論評する事は其本幹に触れずに枝葉だけを論ずるやうでもある。特に分離派会員諸君にとつては其作品だけを批評さるゝ事は定めし不満足であらうとも思ふ。併し一面から考へると技術者(芸術家と言っても宜しい)の立場からは、其の作品を通じて現はれる主張を以て其の真の主張と考へねばならない、
言葉の上の宣言やら主張ではいくら自由な理想が述べ得られても、之れが作品に現はれて確実に裏書せられない中は信用されて通用はしない。
特に抽象的な、壮麗に修飾された字句は其自身だけでは大きな価値を生じない
作品と云ふ確実な実印が捺されなければならない。此んな考へから差しづめ分離派展覧会の所感を述べる事とした、分離派建築会諸氏の宣言と論文も敬意を以て拝見した 之れに対しても愚存を開陳したいとも思って居る、特に独り分離派と云はず建築青年会其他 或は団体的集合はなさずとも一部青年建築家が現状打破の気運を気醸して居る事は注意すべき事象であるので、之に対する所感を申述べる機会を得たいと思って居る。
分離派建築会諸君の今度の運動に対して誰しも墺太利のセヽツション派の運動を思ひ起すであらう。墺太利のセヽツションに刺撃[=刺激]された事は其の名前からも分明である、しかし、会員諸君の主張が必しもセヽツションの当時の主張と同一であるか否かは遽(にわか)に断定出来ない。今分離派諸君が分離を主張せらるゝ対称[=対象]としての建築圏は、セヽツション派が分離を主張した如き建築圏であるか、若しくは其後の動揺を受けた建築圏であるかを明かにせねばならない、諸君の主張によれば後者の如くに思はれるが仮りに前者とすればセヽツション派が分離を宣言した当時の建築界の状況と、今日分離派建築家[=会?]が分離を発表した建築圏とは其の状况が非常に変つて居る、既に三十年の星霜を経た事でもあるし又皮層[=皮相]的の事にもせよ、当時セヽツションの人々の年品は異常の驚愕を喚起し異端を以て目された、今日ではセヽツション若しくは其の傾向の作品は決して珍らしいものでもなく、又其の主張も破壞的のものとも考へられず正当に享け入れされつゝある。たゞ建築家の手腕凡、意図怯にして独創的の実現を見ないで煩悶して居る現状である、建築界の基礎をなす大多数の青年建築家は誰れも当時のセヽツションの人々のやうに過去の捉はれから難脱しやうと云ふ主張に共鳴しないものはあるまい。
分離派の人々は恐らく今の此の心を不徹底な微温的であるとしてもつと徹底的な改造を企てたわけであらう。キユビスト[立体派]に続いたフユチリスト[未来派]の激烈に共鳴するのであらう、其の宣伝や運動振にも多少は其の面影が思はれるやうである。クラシツクとルネサンスの故地伊太利に生れた反動的の未来派の行動と宣言とは極めて真摯熱烈なものであつた、しかし其の欠陥とする所は作品を通しての主張が之に伴はない点である、今我(わが)分離派諸君に対して私は失礼ながら之と同じやうな感を懐くのである。諸氏の宣言と主張は未来派程ではないが可成盛んなものである、併し其の作品は普通一口にセヽツションと称されるものと大した距離がない、頃日伊太利未来派のアントニオ・サンテリア、マリア・チアットオネの発表された、建築意匠程の新味も徹底味も見受けられない、諸氏の宣言によれば現時の建築圏を分離の対称とせらるゝやうに思はれるが、作品によつて見れば嘗て墺太利セヽツション団が対称としたのと同様な建築圏であるやうにも思はれる。言を簡にすれば諸氏の宣言は勇にして作品は怯であると云ふのである。
作品を通覧した感想を挙げると第一通じて建築の芸術味を強調せんとする努力が窺はれる、石本君の言ふ「建築は一つの芸術である、このことを認めて下さい」と云ふ希望がどの作品にも観取される。併も従来の所謂芸術的建築の行き方のやうに虚飾の濫費をする事なしに此の目的を遂げやうと努力して居るやに見受けられる。私の言ふのは芸術味が現はれて居ると云ふのではない。現はさうと云ふ努力が認められると云ふのであるが、此の努力は蓋し分離派建築会の発生や、熱心な行動を喚起した原動力であらう。
次に構造の軽視の傾向が著しく目についた、理論上分離派の諸君は構造が建築美の一大要素である事を忘れたものではあるまい、構造の満足以上に何者かを掴まんとするのであらう。けれども作品によれば構造軽視の傾向が大なる事を遺憾とする。「建築に於て構造は決して萬能ではない、」「今日は構造が重視されすぎて居る」此う云ふ考が或は諸君の中に潜んで居るのでは無からうか、思ふに今日建築の構造は決して重視されすぎては居ない、たゞ其の芸術的考察が充分でないと、技術者が芸術的手腕を欠くためにかゝる錯感を起し易いのである。'嘗て数年前建築学会の大会で辰野博士が建築の構造的発展の急務を喚ばれたに対し私は芸術的方面の閑却されて居るのを遣憾とした、之に対して後に伊東博士は理智による科学的な構造方面は順調に発展し得るが、感情に基礎を置く芸術的の方面は斯く容易でないと説かれたのを思ひ起す。当時でも今日でも私は建築構造が軽視されてよいとは考へては居ない、否寧ろ今日の建築構造は比較的幼稚で其の研究も多く静力学の版囲[=範囲?]を脱し得ず、余り多くの仮定を基礎とするのを遺憾に思ふ。而して建築が構造的であればある程 其の芸術味を発揮するのに都合のよい基礎を持つと信ずる、勿論構造だけが建築美の基礎をなすと云ふ構造萬能には考へて居ない。此の構造と芸術味との関係に就ては後藤慶二君の作品などが明確な説明を与へて呉れる。分離派諸君の作品のあるものは構造的解決を生命とする題目のものである。夫に関らず構造の研究が充分でなく、且構造を芸術味の基礎とする努力をしなかつた事を残念に思ふ。
近頃私は建築の間取りの問題が比較的閑却されるのを遺憾に思つて居た。而して此の展覧会を見て此の念を一層深くした。分離派諸君は過去からの分離を強調される。此の分離の最も必要なのは間取の問題ではあるまいか、生活の改造(生活改善と云ふ熟字の意味する少さい問題ではない)と云ふ事が近代の標言であるが、其の改造せらるゝ生活の容れものとして建築が改造せらねばならないのは、分離派諸君の分離を唱へらるらゝ一原因であらう。此の解决は主としてプラニングの攻究である、作品の多くに或は姿図の奇抜はある、併しプラニングの新味を発見し得ないのを極めて遺憾とする。私は一般に外面の新奇な建築だけをモダーン建築と称するのを甚だ遺憾に思ふ、ワグネルのバイロイトの歌劇場は外観は平凡な建築である、然し内部は観覧席を扇形にして、見たり聞いたりする事の便宜をはかり、劇場に合理的な改造を加へた。だれも言はないが私は之を新建築と考へる、又[アルバート・]カーンの作つたヒル氏記念の講堂は、平面も切断もパラボラに法つて構架した、外観何の珍奇もないが、之は新建築の重要な事例と考へる、此の方面では私は分離派諸君の作品に深い失望を感ずる、曩(さき)に議院建築案の競技の発表があるや非難の声が喧ましかつた、中にも建築青年会は堂々其の所信を天下に開陳し或は竸技のやり直しとか対案作製とか熱心に努力した。私は現代に立脚して過去の様式建築を排斥する此等の人々の声を一面合理であると同情しながらも其等の諸君の言動が大に徹底しないと考へたのは主として平面間取りの問題からであった。当局から与へられたあの議院建築の間取り図は過去の頭で過去の考から様式的立面を頭の何処かに置きながら作つた間取である、此の平面図を無批評に受け入れ之に基いて作製した図案がよく其の形態が独逸風であらうと米国風であらうと私には之を新建築と考へる事は出来なかつた、議院建築に対する批評は先づ其の官僚的な、非開放的な弾力性を欠いた平面間取りに対して下さる可きものであると考へた。私は茲に分離派の展覧会を見て平面間取りに対する新しい研究の欠乏をあきたらず思ふて同時に議院建築に対する青年会の批難が同じく根本問題を逸したのを想記して遺憾の念を深くする。
(なお)一つ私の予想を裏切つたのは意匠に於ける立体的、彫刻的要素の少ない事である。分離派諸君は多く大学の建築学科で乙部に所属し、装飾画や絵画、彫刻に熱達[熟達?]して居ると云ふ評判であつた 特に彫刻は新海竹太郎君の指導を受けて進歩見る可きものがあると言ふ事であつたので其影響が建築図案に現はれる事と予想して居つた、然るに図案の多くは旧来の墺国セヽツション派の作物に多い、平面によりてのみ取囲まれた固著[=苦?]しいものが多く彫刻のやうに多種多様の豊富の面を取扱つて立体的の面白味を移入したものは少なかつた。私は今迄の建築で使用する面が甚だ貧弱で正面と側面と屋面との三つで夫れも多く平面から成立ち、従て立体形の特徴を発揮する事が少く、平板硬粗であるのを不満足に考へ、技巧上彫刻の取扱ふやうな変化の多い多種多樣な面が移入されたら形態に面白い開発も出来やうと思つて居る、独逸建築の成る物には此の傾向を観取する事が出来る。此の為に彫刻の教養が建築家の技巧の上によい影響を及ほすと考へて居たので私かに分離派諸君の作品に此点の期待を持て居た。諸君の余技的作品には彫刻もあつたにかゝはらず、此影響の現れないのを不足に思ふ、展覧会場で私は此の感想を話したに対して石本君は還元的の意向から最も簡単なものから出発する為に此の態度を取つたと弁明された。私は其後分離派の冊子に載せられた石本君の還元論を読み-建築の還元形に就いて考へる-と云ふ項に記載された立体の還元論を読んだ 之に対しても愚存があるが此処には省略する。
分離派会員諸君の個々作品について簡単に所感を述べさして貰はう、石本君の涙凝れり(ある一族の納骨堂)は整つた作品である。一般に最も好評であつたやうだ、細かい部分の技巧も行き届いたものであるが、夫れだけやり過ぎて敦厚(とんこう)の趣をして居る、納骨堂としてはもつと土の感があつても冝しからう 高いホールを設けながら室内配景図に其の高大な感を出さなかったのは遺憾である。材料使用の点、平面、構造に対しても再考を煩はしたい点がある。配景図は気持よく出来て居る。
堀口君のある会室、美術館への草案共に立体的の感に富んだ作である、冊子に平面図が載って居ないのを遺憾とするが、外形では内容を表現しては居ない。ある仼宅への一草案は、月並の平面である 分離派と主張する以上はもう少し現代生活を改善する位の意気込みでありたい。「精神的な文明を来らしめんとして集る人々の中心建築への試案」、間取りに遺憾を感ずる、瞑想の広間の説明を聞かなかつたが周囲から見る効果が覚束ない、此処の構造と他の部の構造が、一致しないやうに思はれる、立面でも集会場を強調する必要があらう
瀧澤真弓君の山岳倶楽部、立面で山岳重畳の感じが出て居るのを面白く思ふ、併し各部が技巧上の統一がなく数多の家の集合であるかにも見える 細部の施工上はもっと大胆な企画をしても宜しからう、平面、平凡、公会堂は側面も平面図もないので、評言は控えるが入口と其上の大張出窓には面の試が現はれて居る。村役場は面が貧弱で、もう少し大自然の気持が欲しい。
矢田茂君の或る美術村の会館、ホフマンの門下マルゴールド等の気持がある。職工長屋、平面に改善の余地を認める、又家具を配置し如何に生活するかを具体的に考へてやらなければなるまい、クレマトリウム面白さうだがまだ分らない 双塔より単塔の方がよくは無からうか。
山田守君の習作(大ホール)は構造的に企画して面白く効果を得らる可きもので構造に振[=触?]れる事を避けた無意味の作品である、国技館や独逸の某博覧会の式場に示唆を受けたものと思はるゝが早大本年の卒業計画にも同種のものを見受けたが之は構造的にも努力した作品であった、同氏公会堂は平面図も切断図もないので巨大な砲弾形の高塔の価値が分らない。山奥に公会堂を置くわけも。
森田慶一君の屠場は配景図のさつぱりした形態には快いものがある。
今回展覧会に於ける諸氏の作品の多くは大学にける練習作と卒業製作とで自然自己の自由な発表を遠慮された点があるかも知れない、第二回展覧会に於てはもつと自由なしかし合理的な作品を拝見したいと思ふ分離派諸君の真摯と熱心がいつまでも其の真醇を失はずに永続せん事を企望[=希望]して筆を擱く、妄評多罪。